再生への備忘録74

 先日我が家の庭先で分封し、トップバーの水平巣箱に収納したその後。朝起きると庭先に出て、巣箱の蓋を僅かに開けて、中の様子を見るのが楽しみで仕方ない。大人の自由研究。

 海外の本など読むと、ミツバチは巣門側から造巣を開始し、最終的には巣門と対極側に貯蜜圏を形成してゆくと書いてあるんだけど、この群は、巣門と対極側、つまり、巣箱の奥から造巣を始めたいようだ。ミツバチは基本的に自由な生き物だ。きっと、ミツバチの空間認識や、行動パターンなんて、人間の知らない事ばっかりなんだろうな。。なんて思いながら、ミツバチが巣門を出入りするのを眺めている時間のなんと豊かな事か。

 巣箱の隅っこに蜂球作っておしくらまんじゅうしながら、何やら相談しているミツバチに向かって、「頼むからバーに沿って巣を作ってくれよな」と語りかける俺。たまに、内検くらいさせてくれ。あとは好きにして良いから。

 コロナウィルス収束云々以前に大事な事は、誰かから何かを奪う事でなんとか生きていける時代は完全に終わったという事で。与える事でしか生き延びていく事ができない新しい時代がすぐそこに来ているんだという事で^_^

再生への備忘録73

 水道橋から神保町に向かって歩いていた時に、なんとなく入った古本屋でみつけて買った尾崎一雄の短編集の中に「二月の蜜蜂」という、尾崎一雄の処女作が入っていました。本との出会いというのは、いつも偶然やって来ますが、自分にとって必要な時に必要な本と出会うというこの共時性(シンクロニシティ)は、人との出会いに似ています。

二月の蜜蜂

 春近い此の頃になると、風のない晴天にはぞろぞろと巣から這い出し、或る者は未だ乏しい花の香りを求めて飛び立ってゆく。巣箱の下についた出口の辺りには、背の光った老蜂や、まだ幼くて虎斑のはっきりしないのなぞが、思い思いに這い回っている。何をするのでもないらしい。中には近々と顔を付き合わせ、何か思いに沈むやうにじっと動かずにいるものがある。

 巣箱の前で繰り広げられる二月の蜜蜂たちの頼りない様子が、見事に描写されていて、尾崎一雄の観察力と見たままに言葉にできる言語化力に驚いたのですが、それ以上に、「もしかしたら尾崎一雄は養蜂をやっていたのではないか」と思わせるような、養蜂家的な視点と生き物に対する暖かい眼差しに感動した次第です。

 養蜂にしても、農業にしても、子育てにしても、大事な事は「意識を向けて対象をよく観察する」という事です。そして、目の前に起こっている事や、同時に自分の内面に起こっている事を自分の言葉で言語化してみるという事です。言語化できないということは、「見ているようで観ていない」という事です。 蜂場はいよいよシーズンイン。坊ノ内養蜂園が開業して10回目の春が来ました。今年はミツバチをよく観察して、ブログで綴っていこうと思います^_^

再生への備忘録72

 林業のアルバイトを始めて早いもので1ヶ月が経ちました。寒空の下、杉の挿木をしたり、台風で壊れたビニールハウスを修理したり、花粉症の原因となる杉の雄花の花粉を採取したり、イノシシの防護柵を作ったりと日々肉体労働に勤しんでいます。私は生まれつき方向音痴のため、杉林に入ると自分がどこにいるのか分からなくなって軽くパニックになりますし、高所恐怖症で花粉症にも関わらず、高所作業車に乗って杉の花粉の採取をするのは、正直言って拷問に近いです。

 東日本大震災が起こった2011年3月に会社を辞めて、自分が好きな道を歩く事にした私ですが、その道は決して平坦なものではなく、こうやってアルバイトをしながら、なんとか生きている状況が10年近く続いています。杉林で迷子になり、高いところで不安になり、花粉症と戦いながらも決してネガティブな気持ちにならないのは、「生きているという実感」があるからです。不安定という状態は活性化している状態で、活性の中にしか幸せはないと信じています。「俺はいま生きている」という実感を得る事以上の幸せを私は知りません^_^

今こそ出発点
 
人生とは毎日が訓練である。
わたくし自身の訓練の場である。
失敗もできる訓練の場である。
生きているを喜ぶ訓練の場である。

今この幸せを喜ぶことなく
いつどこで幸せになれるか。
この喜びをもとに全力で進めよう。

わたくし自身の将来は
今この瞬間ここにある。
今ここで頑張らずにいつ頑張る。

by 尾関宗園(大徳寺)

再生への備忘録71

 1月から林業のアルバイトを始めました。朝から山に入り、台風で倒れた杉や、松枯れ病の松の木をチェンソーで切って片付けたり、挿木や接木の作業を手伝ったり、イノシシ対策の為の柵を作ったりしています。毎日、丸太を担いでいるお陰で、身体が鍛えられるのと同時に、メンタルも鍛えられ、さらに林業の基本も学べるので、一石三鳥です^_^

 養蜂という仕事に於いては、ただ巣箱を置いてハチミツを取っていれば良かった時代は終わり、養蜂家自身が、積極的に間伐したり、蜜源や花粉源となる樹木を植樹して、環境を作っていかなければならない時代になりました。環境破壊が進み、ミツバチなどの小さな生物が住めるところがなくなってきているからです。養蜂業という仕事の根幹にあるのは、何よりもまず環境作りです。

 昨日は、林業のアルバイトはお休みし、日中は「はぁもにぃ養蜂部」の活動、夕方は東京に行って、今年の春から使う新しい養蜂巣箱のプロトタイプを前にして、関係者とディテールの最終打ち合わせをしました。新しい巣箱は、先進国を中心に使われている、縦に長い「ラ式巣箱」(vertical hive)ではなく、ケニアなどで使われている、横に長い「ケニアン巣箱」horizontal hive)をモディファイしたオリジナル巣箱です。

 ハチミツやミツロウなどの蜂産品を採ったり、ミツバチそのものを売る事を養蜂の目的とせず、ミツバチの生育環境を整える事を目的とすると決心してから、志しを共にする仲間が自然と増えて来ました。地球温暖化に歯止めがかからず、環境問題は待ったなしの現代ですが、希望を失う事なく出来る事をやってゆくしかありません。

再生への備忘録70

 昨日は千葉大学で特別授業の講師をしてきました。授業は5時限目に、学部を超えて行われ、高校生も何人か参加していました。最近よく聞かれるようになった「リベラルアーツ教育」の一環として、ミツバチや養蜂をテーマに、自然科学や社会科学にとどまらず、宗教や哲学にまで踏み込んだ議論を展開しました。

 講義は、通常の大学の授業にありがちな一方通行的なものではなく、学生との対話に重きを置いた形式を取る事を意識しました。性の問題や個人の社会適合性、環境問題など、現代人が抱える社会問題に対していまの学生がどう考えているのかを参加者全員が共有できるような授業にしたかったのですが、時代のムードのせいなのか、国立大学という校風がそうさせるのか、積極的に自分の意見を発言する学生は多くありませんでした。

 社会という大きな海に出る前に、いま自分を縛っているしがらみや束縛、親や教師から一方的に押し付けられた価値観、自分の中での常識や偏見から、一度自分を解き放ち、多角的な思考をする訓練を、人生の早い段階でしておくか否かは、その後の人生を大きく左右します。

 「私たちはテクノロジーとリベラルアーツの交差点にいる」これはアップルの創業者である、故スティーブ・ジョブズの言葉です。すごく良い言葉ですが、私は「養蜂」を学ぶ事こそが、リベラルアーツ教育に最適だと思っています。自然科学も社会科学も、哲学も宗教も、本質的なところでリンクしている事を学べるからです^_^

再生への備忘録69

 私の蜂場は、千葉県君津市にある鹿野山(海抜280m)にあり、おそらく千葉県で最も高いところにある養蜂場です。その為、蜂を見に行く時は、かなりの急勾配をトラックで上がっていかねばなりません。去年マニュアルミッションの軽トラックから、オートマの1tトラックに買い換え、排気量が大きくなったのは良いのですが、未だにオートマミッションの運転に慣れずにいます。

 スバルの軽トラックを長らく運転していた私は、ポルシェライクなエンジン音が好きで、基本的にエンジンの回転数を上げて走るクセがあり、その感覚が抜けないでいる為、トヨタのオートマの設定にどこかストレスを感じてしまいます。シフトアップして欲しい時にしてくれない、シフトアップして欲しくない時にシフトアップするという感覚です。また、気がついたらオーバードライブのボタンが押されていたり、いなかったり。。自分とエンジンとの会話が成り立っていないのは非常にストレスです。

 しかしながら、オートマチックのエンジンというのは、理論上、もっともエネルギー効率が良いように、シフトチェンジのタイミングが調整されていて、本来であれば、運転者は、理論上の判断に合わせた運転をすべきであるとようやく最近になって気がつきました。

 ところで、最近読んだユング関係の本の中に、「実年齢に見合った価値観にシフトしなければならない」というような事が書いてありました。実年齢と気持ちとにギャップがあると、それは自分自身を苦しめる事になります。人生も50歳に差し掛かり、確実に老いに向かっている年齢になったからこそ、シフトアップではなくシフトダウン、ゆっくり、エンジンを労わりながら、燃費の良い走りを考えた方が良いのかもしれません^_^

再生への備忘録68

僕が「LIFE 」誌が掲載した人間の受胎写真を見た時、学校で教わった競争の話とは、随分違うなと思ったものだ。

そう、どの精子が最初に卵子にたどり着き、受胎するかという話だ。でも違ったんだ。

「LIFE」誌には、あるスウェーデンの写真家が収めた受胎の本当の姿が載っていた。その本当の姿とは、卵子を取り囲んだ精子達が周囲を回りながら、一分間に8回、まるで原始の踊りのごとく、自らの尾をくねくね踊らせるというものだった。

8という数字がまた、無限のサインを思わせるじゃないか。

僕たちはダンスで生まれたんだ。人生は競争じゃない。

誰かと競い合うのではなく、みんなで一緒に楽しむものなんだ。

たとえばこのミツバチのように。

再生への備忘録67

 昨日は実家で新年会でした。両親と妹の家族で集まり、私を含め、1人ずつ今年の目標を発表しました。「私は◯◯します」という、自己肯定を伴うセルフイメージを持つ事は非常に大事です。自分のエネルギーが、目標にフォーカスされるからです。所謂アファメーションです。

 夕方になり、今度は私の会社の社長の実家にお邪魔して、仕事の打ち合わせをしました。リビングには、いくつかの現代アートや大好きなマティスの絵が飾ってあり、楽しく打ち合わせが出来ました。マティスの絵を見ると元気が出ます。

 帰りに、車の中で聴いたのは、キースジャレットトリオの「changeless」というアルバムでした。ジャケットのデザインとなっているシンプルな丸い線は、直原玉青という禅僧が描いていて、マティスの「dance」をさらにデフォルメしているような、今年1年の自分のセルフイメージを象徴しているような気がしました。

 それにしても、キースジャレット、ゲイリーピーコック、ジャックディジョネットという3人のインプロヴィゼーションの世界は、何百回聴いても新鮮です。マティスの「dance」にもし私が音楽をつけるとしたら、この「changeless」しか思いつきません。人生に予定調和などなく、過去も未来もなく、永遠の現在があるだけだからです^_^

再生への備忘録66

 令和二年。元旦の今日は、焚き火と日本酒から始まりました。ほろ酔いで焚き火の火を眺めていると、決まって10代〜20代前半の頃を思い出します。高校時代の友人と焚き火を囲いながら青臭い夢を語っていた時の焚き火です。 

 あれから30年という歳月が経ち、自分もそれなりに人生経験を積んで、いま、あの時とは違ったビジョンを持つようになりました。それはある種の妄想に近い、ぼんやりとした夢ではなく、リアルでクリアーなビジョンです。

 いま、自分の目の前にある現実はすべて自分の想念が作り出したイリュージョンに過ぎません。いまこの瞬間に幸せになるのも、不幸の主人公に仕立て上げるのも自分の意識が決めるだけの事です。人生劇場の主人公は常に自分であり、脚本を書くのも、監督をするのも、演出するのも気の利いたBGM流すのも自分です。作品のライナーノーツを書くのも、観客として鑑賞するのも、賞賛するのも批判するのも、肯定するのも、否定するのもすべて自分自身です。

 人生劇場を盛り上げる為に、途中で悪人を登場させるのも自分、見る人が退屈しないように想定外のピンチを用意するのも自分です。環境のせいにするのも自分、環境を創るのも自分、この腐った世界を変えようと、何かするのも自分、何もしないのも自分です。人生は一度しかありません。確定しない未来を憂う事なく、全力で進めて参りましょう。今年もよろしくお願いします。

再生への備忘録65

 昨日は、本格的な大掃除を始める前に子供たちを蜂場に連れて行き、ヤギとミツバチの世話をさせました。この時期は、マテバシイやヒサカキ、アラカシなどの常緑樹の葉っぱを選定バサミで切って、収穫用コンテナにいれてヤギに与えます。ヤギ牧場に常緑樹が植えられていると、一年を通じて餌が自給できるので、蜂場の常緑樹は有難い存在です。

 ニホンミツバチの巣箱には、子供たちが藁で冬囲いをしました。ニホンミツバチは本来、木のウロに住む、在来の野生種なので、人間の干渉を求めていませんが、巣箱の中で飼育する場合は、ミツバチの住まいの環境を良くするための工夫が必要になってきます。

 ところで、聖書では「乳と蜜の流れる地」(a land flowing with milk and honey)という描写が頻繁に出て来ます。この表現の意味するところを私は詳しくは知りませんが、ヤギがいてミツバチの羽音が聞こえる私の蜂場は、長閑で癒しの空間になっていることは確かです。

 台風15号が房総半島に直撃した直後から綴ってきたブログも今日が今年で最後となりました。日々の気づきを忘れない為に、備忘録として書き始めましたが、自分の考えを客観視して、自分の言葉で文章にする事は、非常に大事だと思っています。それは自分自身に対する福音となるからです^_^