再生への備忘録73

 水道橋から神保町に向かって歩いていた時に、なんとなく入った古本屋でみつけて買った尾崎一雄の短編集の中に「二月の蜜蜂」という、尾崎一雄の処女作が入っていました。本との出会いというのは、いつも偶然やって来ますが、自分にとって必要な時に必要な本と出会うというこの共時性(シンクロニシティ)は、人との出会いに似ています。

二月の蜜蜂

 春近い此の頃になると、風のない晴天にはぞろぞろと巣から這い出し、或る者は未だ乏しい花の香りを求めて飛び立ってゆく。巣箱の下についた出口の辺りには、背の光った老蜂や、まだ幼くて虎斑のはっきりしないのなぞが、思い思いに這い回っている。何をするのでもないらしい。中には近々と顔を付き合わせ、何か思いに沈むやうにじっと動かずにいるものがある。

 巣箱の前で繰り広げられる二月の蜜蜂たちの頼りない様子が、見事に描写されていて、尾崎一雄の観察力と見たままに言葉にできる言語化力に驚いたのですが、それ以上に、「もしかしたら尾崎一雄は養蜂をやっていたのではないか」と思わせるような、養蜂家的な視点と生き物に対する暖かい眼差しに感動した次第です。

 養蜂にしても、農業にしても、子育てにしても、大事な事は「意識を向けて対象をよく観察する」という事です。そして、目の前に起こっている事や、同時に自分の内面に起こっている事を自分の言葉で言語化してみるという事です。言語化できないということは、「見ているようで観ていない」という事です。 蜂場はいよいよシーズンイン。坊ノ内養蜂園が開業して10回目の春が来ました。今年はミツバチをよく観察して、ブログで綴っていこうと思います^_^

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