再生への備忘録22

秋の長雨が続いているので、しばらく外の作業を中断しています。
昨日はデザイナーの友人と近所のカフェで打ち合わせをしました。一年ほど前から、絵本の制作を2人でやっているのですが、ここに来て、やっと骨格が見えてきました。絵本は、「私」という自我を持って生まれたために、社会性動物としての活路が見出せなくなってしまった、1匹の働き蜂の話なのですが、言葉で表現できない事を絵が補い、絵で表現できない事を言葉で補って、全体として完成度の高いものにできればと思っています。打ち合わせの後は、小雨が降る中、2人で芋掘りをしました。土を触るのは気持ち良いです。

再生への備忘録21

よく知られた原則の中に、「与えるという原則(principle of giving)」というのがあります。与えるものが与えられるという原則です。
この原則は、若い時は今ひとつ腑に落ちないのですが、年を重ねて、人生経験が増してくると、体験の中で気づく時が必ずきます。受け取るより、与える方が満たされるという感覚です。
「与える」というのは、言葉を変えれば、「能動的に損をする」ということで、それはつまり、エゴを手放すという事に他なりません。「与えるものは与えられる」という法則は、「エゴを手放し、超越的自我を獲得した者のみが満たされる」という、絶対的な真理です。
ところで、エゴを手放す為の1番簡単な方法は、欲求を手放す事だと言われています。物欲や食欲を抑えて、ストイックな生活をすれば、徐々にエゴがなくなってゆくと思われます。しかしながら、ストイックな生活をするという行為そのものに執着した瞬間に、そこにもう1つのエゴが生まれ、苦しむ事になるわけで、そこにエゴを手放す難しさがあったりするわけです。
「与える者」になる為には、思弁的になる事なく、思考したり、言語化するのをやめて、結果を期待せず、いま出来ることを、寡黙にやってゆくしか、方法かないように思われるこの頃です。
ブログに書いている時点で矛盾していますが^_^

再生への備忘録20

セイタカアワダチソウも満開となり、本格的に秋の建勢作業に入る前に、台風15号と、その後のスズメバチの総攻撃で弱群化した群の合同準備をしようと思った矢先の雨模様。昨日は作業を諦めて、近所のカフェに行きゆっくりとした時間を過ごしながら、頭を整理しました。もう、10年以上、毎日考えているテーマで、自分が本当にやるべき事は何か?と言う事です。
これは、自分はどう生きたいのか?と同義で、こればかりは、自分自身と対話し続けて答えを出すより他にありません。
夕方帰宅して、何気なく「盛和塾(稲盛和夫氏の経営塾)」のウェブサイトを見ると、2019年の年末をもって、盛和塾は終わり、解散すると書かれていました。多くの経営者のメンターである稲盛和夫氏のセミナーには、いつか参加したいと思っていただけに残念なニュースでした。
ところで、稲盛和夫氏が著書の中で一貫して言っている事は、「思い続ける」事の重要性で、これは言葉を変えれば、自分自身の声にしっかりと耳を傾け、それを自覚せよと言う事だと思います。
本当のメンターは、自分自身の中に宿っているという事なのかもしれません。

再生への備忘録19

台風という現象は、いつの時代も人間社会にとっては「災害」以外の何物でもなくて、現実的に人間社会に大変な被害と損害を与えます。台風19が関東地方を横断した昨日は、私も祈りました。
「どうか、私の息の根を止めないでください」と。
しかしながら一方で、「私に一から出直す勇気をください」と潜在意識の中で祈っている自分がいた事も事実で、それに気づいた時、私は今後、自然現象に対して予防したり、抵抗したりするのをやめようと思いました。それはいつか、手痛いしっぺ返しを受けると思ったからです。
東シナ海の水蒸気が、強力なエネルギーと波動を伴って、日本の大地に降り注ぐ、台風という名の現象は、間伐や洪水など、大きな撹乱を生じさせる事で、生き物の生息エリアが広がり、生物多様性をもたらすとも言われています。
これは、社会や自然にとって、どういう意味を持っているのか、そして、台風以前に戻ろうとするのではなく、本来の意味での再生への道はどこにあるのか、謙虚な気持ちで、しっかりと考えてみたいと思います。

再生への備忘録18

明日房総半島に上陸する超大型台風に備え、発電機とランタンを購入しました。
我が家は上下水道は引いておらず、生活水は井戸水なので、停電になるとポンプが使えず水が出ません。井戸のポンプの消費電力は600wですが、初動に3倍の電力を消費するため、1800wの発電機を選びました。また、パソコンや家電を使うので、周波数が安定しているインバーター発電機にしました。
ちなみに、発電機のエンジンはYAMAHAです。
ランタンは、ジェントスのLEDランタンで、400ルーメンのものを選びました。LED素子がフィラメントのように細長く、ハロゲン光のような暖色光が再現されるので、ちょっとムーディーです。
良い買い物をしました。
停電対策としては、これ以上特に必要ありません。多少の不便はあるかもしれませんが、そんな時こそ、心静かに小さな光でゆっくり過ごしたいと思っています。

再生への備忘録17

我が家の朝は、外ネコ(野良ネコ)に餌をやる事から始まります。

我が家には、3匹の家ネコと3匹の外ネコがいますが、餌をあげる順番は、ウッドデッキに座って餌を待っている外ネコからです。家ネコ達は、「なぜいつも外ネコから食事にありつけるのだ?」と、その理不尽さに納得していないかもしれません(笑)

私は、雨の日も、風の日も、毎朝決まった時間に我が家のデッキにやって来て、餌を待っている外ネコを見る度に、聖書にある「葡萄畑の主人」の話を思い出して、その都度、あの「理不尽な」話の真意を考えてみたりします。

ところで、私には心から渇望しているものがあります。それは、毎日の食事ではなく、今日の仕事でもなく、「真実が知りたい」という渇望です。

諦めず、自暴自棄にならずに待っていればやって来るでしょうか。
「そういう事だっのか」と思える日が。

再生への備忘録16

スクリーンボトムボードかソリッドボードか。この命題に対してなかなか自分の答えが出せず、今年も終わろうとしています。
こういう話は、趣味で養蜂をやっている週末養蜂家の人や、何百も巣箱を持っている専業養蜂家の人のほとんどはあまり関心がないテーマだと思います。考えても結論が出ない問題だからです。 答えを出すためには、自分で作って実験し、自分なりの答えを出すしかありません。


ところで、趣味でもなく、業でもない、かといって、マニアでも、オタクでもない、「熱狂的支持者」エンスージアスト(enthusiast)というカテゴリーの人がどの分野にも存在します。 彼らは、独特の波長を持っていて、総じて声が大きく、異常に快活で、自分の好きな事やテーマを饒舌に語り、総じて金銭感覚がない人が多いのですが、どこか不思議な魅力を放っていたりします。
ミツバチ以外に何にも興味を持てない。ハチミツを採ることにも興味がない。スクリーンボトムボードの図面書いていたら朝になった。
こういう人はエンスーの可能性が高いです^_^

再生の備忘録15

養蜂家の夏は忙しく、世間のニュースを聞いている暇もなく、毎日作業に追われていたので知らなかったのですが、8月中旬に、ピーターフォンダが亡くなっていました。
ここ数年は、毎年のように自分が青春時代に好きだった俳優やミュージシャンが亡くなっています。
ところで、ピーターフォンダ主演の映画は2つ見ていますが、1つはデニスホッパーと共演した「イージーライダー」、もう1つは、彼が養蜂家を演じる「木洩れ日の中で(原題はULEE’S GOLD)」で、後者の方はVHSのテープで持っていて、大切に保管しています。
ここでのピーターフォンダは、寡黙な養蜂家であり、壊れてしまった家族を再生する1人の父親でもあり、また、映画を通じて養蜂の本質を捉えている素晴らしい作品です。
残念ながら日本版のDVDは発売されていないのですが、何度も見たい作品なので、近々DVDに焼くつもりです。
ちなみに、「木洩れ日」という言葉は、いかにも日本的で、養蜂的で好きな言葉の1つです。
木洩れ日は、人間にもミツバチにも優しく、巣箱を置くには理想的な環境です。

再生への備忘録14

毎週水曜日は、はぁもにぃ養蜂部の活動日。

知的及び発達障碍の青年達と養蜂をやりながら、彼らの自立支援をしています。昨日は、被災した蜂場に散乱した木の枝や、ミツバチがいなくなってしまった巣箱を部員達と片付けました。はぁもにぃ養蜂部の部員達は、重度の知的障碍と発達障碍を持っていますが、それ故に、彼らは仕事に意味を求めません。「こんな事やって何になるのか」などと考えず、目の前にある事に淡々と取り組みます。お陰で、蜂場はだいぶ綺麗になりました。

ところで、私は便宜上やむをえず、「障碍」という言葉を使っていますが、「しょうがい」という言葉に対する違和感は、年々強いものになっています。それは彼らの特性を正しく伝えていないからです。言い換えれば、逆説的に、私達は全員障碍者であるとも言えます。

ちなみに、私にも様々な障碍があるのですが、1番大きな障碍は、「他者に対して寛容になれない」という障碍です。特に、一般的な世の中の価値観を盲目的に信じている善良な市民に対して寛容に接する事ができません。この特性は、立派な障碍です。

はぁもにぃ養蜂部の部員達は、他者に寛容です。もちろん私に対しても。 

再生への備忘録13

来年使う巣箱の設計をするにあたり、参考になりそうな巣箱の図面を、海外の養蜂家から送ってもらいました。

図面はデジタルデータではなく、何と手書きで、大判コピーしてありました。

また、図面には、部材のカッティングダイアグラムやディテールに養蜂家のこだわりが感じられ、見ているだけで楽しくなりました。家や車などもそうですが、モノには全て設計思想というものがあり、図面を見た時に、作り手の思想が感じられるかどうかは、非常に大事だと思っています。思想がないモノには方向性がなく、思想がない人はいつもブレています。ブレているから、自分の境遇を他人や環境のせいにするのです。

ところで、思想は突き詰めてゆくと、やがて哲学となっていくという意味に於いて、養蜂は哲学です^_^