再生への備忘録24

偶然か必然か、被災する2週間前から、寝る前に旧約聖書を読むのが習慣化していて、いま「創世記」を読んでいます。創世記のポイントはやはり、エバが蛇に誘惑され、善悪の知恵の果実を食べ、原罪を負ってしまう場面ですが、「善と悪」という二元論的な思考を人間が持つ事は罪である、というキリスト教的な世界観がまず前提としてあるところが面白いです。善と悪という尺度を持つ事は人を裁く事になり、結果的に争いや対立を生むわけなので、罪と言えば罪かもしれません。もっと言えば、こうやって、聖書に書かれている事に解釈を加え、あれこれ論じる事が罪なのかもしれません。解釈するという事は「信じていない」という事だからです。
ところで、いま私たちは、大と小から始まって、善と悪、幸せと不幸、裕福と貧乏など、全てが二元論で説明される世界に生きていますが、これは、蛇の誘惑に乗せられて、神を信じる事が出来なくなったからなのでしょうか。
そもそもなぜ、二元論的な思考が人間に宿っているのかが逆に不思議です。

アップル社のリンゴのデザインはデザインとして非常に完成されていますが、どこか禁断のオーラが漂っていると感じるのは私だけでしょうか。
スティーブ・ジョブスは、アメリカ人っぽいジョークを交えて否定していますが、「禅の影響を受けたプロテスタント(?)」のジョブスならではのデザインだと解釈する方がしっくりきます。
しかし、あらゆる誘惑に陥る事なく、真理に近づきたいと思っても、その道は口で言うほど容易ではありません。誘惑のその先に真理があるかもしれないからです^_^

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